KIRIN

アラフィフの恋バナ中心

生きていくということ、、

 

 

お題がなんか重たいのだけど、、

 

 

 

想うことがありまして、、

ま、とりあえず、文字にしておこうと、、

ここに書くことにしました、、

 

 

 

このブログを読んでくれてる人は数少ないと思うので、、

知る人ぞ知るなんですが、、

私は旦那さんを亡くしまして、、

いわゆる未亡人です、、

 

 

結婚生活は20年弱、19年かな、、

1995年〜2014年、私は妻でした、、

死別して今年、8年が経ったというところ、、

 

 

死別から4年ほどは、、

2人の息子がまだ社会人になる前だったりで、、

自分のことは後回しな感じでした、、

 

 

人生を楽しむとか、、

新しい出会いとか、、

出歩くとか、、

全く考えませんでした、、

 

 

亡くなった旦那さんを忘れられないとか、、

そういうんじゃなくて、、

ただただ、、

旦那さんを大事に想うとか、、

ものすごく感謝して生きるとか、、

なんかよくわからないけど、、

多分、、

いないことに慣れなくて、、

不思議な日々だったのかもしれません、、

 

 

4年を過ぎたあたりに、、

元同僚である気を使わない男性から食事に誘われ、、

もちろん複数人の食事にゲスト的な感じで招待されたんですが、、

ゲストという特別枠なところに、、

ちょっとだけ優越感を持ったので、、

顔を出すことにしたということがきっかけとなり、、

 

 

自分が楽しむとか、、

自分の幸せとか、、

これからの人生とか、、

そういうことを考えるきっかけになった、、

 

 

狭い世界で生きる事も悪くはないけど、、

そもそも私はそういう性格ではない、、

 

 

19年という結婚生活で、、

本来の私が旦那さん色に染まっていただけで、、

私は私色になっていけばいいのじゃないかと、、

そう思えたのです、、

 

 

その時に私の話を聞いてくれた同級生が、、

背中を押してくれた、、

私が幸せに生きていくことが供養のひとつだということを、、

 

 

それで前に進もうと、、

そう思って今も生きている、、

 

 

でも、、

私から19年の結婚生活はもちろん消えないし、、

旦那さんのことも消えるない、、

良い思い出も悪い思い出も山ほどある、、

 

 

時々思い出すこともあるし、、

まだ泣けてくることもある、、

それは自然なことだと思う、、

ダメなことではなく、、

私は大事なことだと思う、、

 

 

それが私にとって、、

生きていくということのひとつだと思っている、、

 

 

色んな感情が持つことが、、

生きているということという意味、、

 

 

そう想うことに、、

否定をされるのはものすごく嫌だと思う、、

 

 

あーー

ちょっと整理しきれていない頭はなので、、

今日はここまで、、

 

 

私自身の想いを書いてるだけなので、、

ま、いっか、、

 

 

言いたいことが言葉にするのが難しい、、

でも言葉にして残しておきたい、、

 

 

だからまた続きは書きます、、