KIRIN

アラフィフの恋バナ中心

旦那さん、、

 

 

今日は亡き旦那さんのこと、、

 

 

20歳の時に出会って、、

21歳くらいから、、

なんとなく一緒にいるようになって、、

 

 

旦那さんには彼女がいたんだけど、、

私は知らなくて、、

一緒にいるって言っても、、

週に1回飲みに行って、、

ホテル行ってっていう付き合いで、、

 

 

旦那さんはレストランバーのマスターで、、

そもそも私はそこのバイトとして働いてて、、

 

 

一緒に飲みに行くから始まって、、

私から誘ったっていう感じなんだけど、、

全然、そういうつもりなかったんだけど、、

なんか私が若すぎて何も考えてなかっただけで、、

 

 

最近、コロナウイルスで、、

私も死ぬかもしれないという危機感を感じて、、

エンディングノートを書いてて、、

 

 

昔、旦那さんからもらった手紙のことを思い出して、、

引っ張り出して読んだ、、

 

 

読んで、まず思ったのが、、

私、旦那さんに染まってるってこと、、

染まっているのか、、

同じ考え方だったのか、、

わからないけど、私と似てる、、

 

 

5通の手紙と2つのメモ、、

 

 

結婚する前と結婚してからのもの、、

 

 

マメな人じゃないのに、、

手紙を書く人だったのか?

 

 

喧嘩した時や、、

別れ話の手紙だったけど、、苦笑

 

 

もう二度と会うことないけど、、

頑張ってくださいみたいな手紙、、

 

 

でも、結婚したんだよ、、

19年一緒にいたんだよね、、

 

 

結婚してから交換日記もしてきた事もあったなぁって、、

なんか楽しかったなぁ、、

 

 

一回り上の旦那さん、、

私はいつまでも子どもだったのかもね、、

 

 

旦那さんが病気で治療して、、

その治療は元気になるための治療だったのに、、

 

 

そのせいで肺炎と癌になって、、

命を縮めて、、

亡くなった、、

 

 

強い旦那さんだったんだよね、、

 

 

だから、まさか死ぬなんて思わなかったの、、

ずっと、想像なんて出来なかったし、、

今も不思議、、

なんであんなに強い人がいないんだろうって、、

 

 

私が38の時だったかな、、

病気治療してたの、、

 

 

鬱っぽくなって、、

あの頃は地獄の日々だったんだよね、、

 

 

私は居場所がなくて、、

洗面所で体操座りして時が経つのをじっと待ってた日もあった、、

 

 

笑えない、声も出せない、、

テレビもつけられない、、

電気もつけられない、、

 

 

お伺いを立ててから、、

何もかもやるっていう感じ、、

 

 

あの時は、、

もう限界だった、、

 

 

今思えば、、

あーあんなことあったなぁって思えるけど、、

私にとっては、、

地獄の毎日だった、、

 

 

でも、、

手紙を読むと、、

私のことが大好きで、、

私と一緒にいることが旦那さんにとって幸せだったんだと思う、、

 

 

そして、、

私だから旦那さんは、、

自分らしく生きれたなぁと思う、、

 

 

旦那さん、、

かなりの亭主関白だったし、、

私を旦那さんの箱の中に入れておきたかったんだから、、

 

 

そう思うと、、

私は今もそれほど変わらないような感じだと思う、、

 

 

旦那さんと彼は全然違う人だけど、、

私は結局、誰かの箱の中で生きることしかできないんだなぁと思う、、

 

 

自由はいいんだけど、、

自由は不安な気がするんだよね、、

 

 

今年、7回忌を予定していたんだけど、、

コロナでひとまず中止した、、

 

 

来月の祥月命日に、、

私1人で納骨も済ませようと思っている、、

 

 

当たり前に、、

忘れることはないんだけど、、

 

 

6年前の今頃は、、

余命宣告も週単位だった、、

苦しい時間だったな、、

もう、私の事さえもわからなくなってた、、

 

 

こうやって思い出すことが大事だと思っているので、、

思い出すよ、、

 

 

ほかのブログには、、

旦那さんとの闘病記録が残してあるので、、

読み返してみようかな、、

 

 

今も不思議と、、

そばにいて私を心配してるんだよね、、

 

 

ごめんねとありがとうの繰り返しです、、

 

 

旦那さんとの19年があるからこそ、、

今の生活があるので、、

感謝しかないな〜